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和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡

その経緯と背景説明 - シリーズ「和名考」その1
- 2010年4月 5日 20:55
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今考えてみると、ねよしさんのかけたトラップに見事に引っかかったという事だろうか?(^^;;
ねよしさんのサイト「富戸の波」の掲示板でいつの間にか「和名論争」になっていた。
事の発端はこうだ。
2月28日まで上野の国立科学博物館で開かれていた天皇の在位20年を記念した「ハゼの世界とその多様性」という展示があった。
これに行ったねよしさんが書いた2010/03/07の記事「第358回 Akihito - その1」に、学名に今上天皇の名が付けられたハゼの話が出ているのだが、これらは国内では記録がないため和名はないようだ。
つまり外国産のハゼ4種ぐらいに今上天皇の名"akihito"が付いているらしいのだが、これにねよしさんがウケ狙いで噛み付いた!(笑)
Akihito の名を持つハゼが何らかの経路を通じて日本の海に持ち込まれ、それが強い繁殖力で在来種を駆逐し始めたらどうするのでしょう。「Akihito を特定外来生物に指定せよ」
「Akihito を駆除せよ」とは言い難いんじゃないでしょうか。
いやいや、確かにその通り!
面白いなぁ?と思い、さっそく掲示板に書き込んだ。
面白いです。 思わず吹き出してしまいました。。。(^^;;
と。
ここからお互い超長文のコメント応酬が始まる。。。(笑)
ねよしさんには昔から和名に対する熱い思いがあり、命名方法について次のような明確な独自の考えがある。
- 魚の外観、大きさ、生態、生息環境に基づいて命名する
実体と和名の結び付きを強くして覚え易くすると言う機能的要請。名前を聞いたらその魚を思い出せる様に - 日本語の豊かさを感じさせる名前とする
親しみ易さを目的に折角日本語で名前を付けるのだから、その広い語彙や歴史を生かしたい、遊びたいと言う文化的要請。が、結果としてそれが和名の覚えやすさに繋がり、上の機能的要請も満たす事になる - 人名や地名などその魚と直接関係の無い名前は避けるべきである
名前を聞いてもその魚の外観や生態などが全く想像できない上にその海域の固有種であるかのような想像を抱いてしまう
それに対して過去に「ヤクシマ?」の和名がついた魚や甲殻類に携わった僕は当然のように3番の「人名や地名などその魚と直接関係の無い名前は避けるべきである」にのみ思い切り反応!(笑)
「色や形などは感じ方に個人差があるので、むしろ外観に基づく命名の方が却って混乱を招くので避けるべきではないか?その魚と直接関係の無い人名や地名の方がまだ良い気がする」
という論旨で反論するわけだが、ここで最初に言っておきたいのは、僕は決して
"外観に基づく命名には反対!地名や人名でつけるべき!"
という考えではない事は最初におことわりしておきたい。
この辺は、まぁ、最後まで読んでください。。。(^^;)
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どんどん熱く長くなるコメントに掲示板のオーナーであるねよしさんからついに「待った!」の声がかかった。
「僕の掲示板を長文で汚すな?!!」
ではなく(笑)、むしろ「こんな充実した議論を掲示板上の発言のみに押し込めておくのは非常に勿体無い!お互いのサイトでこれを正式の記事として読み易く掲載しないか?」との申し出。
面白い!やりましょう!!(*^^)
という事で、これから数回に渡って、この長?い「和名論議」を当ブログ「HARAZAKI.NET」、及び「富戸の波」にて掲載しま?す!?(^▽^)/
文は「往復書簡」のような形になっており、"ねよし - 富戸の波"→"しげる - HARAZAKI.NET"の順番で交互に掲載していきます。
多くの方にとってこの僕とねよしさんのやり取りが動植物の「和名」に関して深く考える機会になれば、と願ってやみません。
静岡県伊東市にある「富戸」というダイビングポイントを愛し、このフィールドを拠点に生物観察を楽しむ根吉さんのサイト。
内容は1つ1つが非常に深く、とことん突き詰める姿勢、そしてその着眼点、観察力、考察には僕も昔から強い影響を受けている。
屋久島にも過去に何度か遊びに来てくれているのだが、やはり屋久島でもその観察スタイルは変わらず。。。(^^;)
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ねよし - 富戸の波 (2010/03/21)
「剛(つよし)」と言う名なのに妙に軟弱な奴もいれば、「ひかり」と言う名にもかかわらず根暗な女の子もいます。生まれた時にはご両親は様々な事に思いを巡らせて名付けたに違いないのですが、なかなか願い通りには行かないものです。
同じ事は標準和名や学名にも言える様に思います。地名や人名を付けて、その魚自身以外の意味を帯びてしまうと思わぬ展開を迎える事もありえるでしょう。
「標準和名倫理委員憲章」でも、その様に謳っています。(あっ、ちなみに当委員会の事務所は我が家にあるので、不明な点は何なりとお問い合わせ下さい)
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しげる - HARAZAKI.NET (2010/03/22)
> 同じ事は標準和名や学名にも言える様に思います。地名や人名を付
> けて、その魚自身以外の意味を帯びてしまうと思わぬ展開を迎える事
> もありえるでしょう。
う?ん。。。それを言ってしまうと、どんな和名をつけても「その魚自身以外の意味を帯びてしまう」のではないでしょうか?
そうなると和名は無い方がいいという結論になりそうな。。。(笑)
特に地名や人名よりも、その魚の特徴を和名に充ててしまうのが一番危ない、一番混乱すると僕は常々思っています。
無難なところで、その魚自身とはまったく関係のない言葉、例えば人名や地名がむしろ一番安全なのではないでしょうか?
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こんな感じで議論が始まったわけだが、ここからはさらに熱くなり1つのコメントが異常に長くなっていく。。。(笑)
なので、今後は1ブログ記事につき1人分の1コメントを交互に載せていこうと思う。
次回はねよし(富戸の波)さんのコメントになります。
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標準和名の傑作「ネジリンボウ」 - シリーズ「和名考」その2
- 2010年4月 5日 23:43
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今回はねよし(富戸の波)さんのコメントになります。
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ねよし - 富戸の波 (2010/03/23)
和名の問題は、僕なりにこだわっている事なので、真面目に述べさせて頂きます。
>> どんな和名をつけても「その魚自身以外の意味を帯びてしまう」のでは
>> ないでしょうか?
そうでしょうか。僕が標準和名の傑作と考えるのは「ネジリンボウ」です。短い名前でありながら愉快で日本語の軽(かろ)みに溢れています。初心者のダイバーでも、実際のネジリンボウを見てこの名前を教えて貰ったら二度と忘れる事はないでしょう。また、その名前を聞いたら直ぐにあのネジネジ模様を思い出すのではないでしょうか。それらは、全て、「その魚自身の模様」と言う意味だけを短く楽しい言葉で切り取ったからです。
仮に、ネジリンボウが富戸に沢山生息している名物種であり、そこで採取された個体にちなんで「フトハゼ」と命名されていたとしたら、ここまでこの名は定着していなかったでしょう。また、その名前を聞いても初心者の方は直ぐには思い出せないのではないでしょうか。
更に、100年後だってネジリンボウは「ネジリンボウ」の名そのままの体でしょうが、その頃には環境が変わってもはや富戸には生息しておらず富戸名物ではなくなっているかも知れません。「フトハゼ」と名付けていたら、
「なんでこんな名前なんだ?」
とその頃の人は訝しく思っているでしょう。標準和名にも時代に耐える安定性があった方がよいと思うので、やはり魚自身の意味だけを負った「ネジリンボウ」が一番と考える次第です。
さて、ネジリンボウ属はその後、近似種の記載により「ヒレナガネジリンボウ」、「キツネメネジリンボウ」と仲間を増やしました。どちらも「外見」と言うその魚自身の意味によっており、僕は妥当な命名だと思います。但し、ただの「ネジリンボウ」よりも長い名前になってしまったのが難点です。もし、ヒレナガネジリンボウも2種の近似種に分れるとすると、例えば
アカヒレナガネジリンボウ
クロヒレナガネジリンボウ
と更に長くなってしまいます。しかし、これは二次的な問題です。
>> 特に地名や人名よりも、その魚の特徴を和名に充ててしまうのが一番
>> 危ない
>> その魚自身とはまったく関係のない言葉、例えば人名や地名がむしろ
>> 一番安全なのではないでしょうか?
「危ない」「安全」と言う意味がよく分らないのですが、何だか標準和名の「記号化」或いは「数値化」を推奨していると言う風にも聞こえます。学名ならば「記号」や「数値」でよいのです。つまらないけれども必要悪として僕も理解できます。でも魚の標準和名は、「日本語」の「名前」なのです。携帯電話の型番とは全く違うのです。日本語の美しさ、楽しさや面白さ、そして長い歴史を反映したものであって欲しいと願う次第です。
ちなみに、「ネジリンボウ」を素晴らしい和名と僕が高く賞賛する背景にはこんな事もあります。
聴覚障害のダイバーの方を海に案内しようと、手話の出来るガイドさんがブリーフィングをなさっているのを富戸で拝見した事があります。その時は、砂地のあちこちにネジリンボウが現れている季節でした。そこで、そのガイドさんは手ぬぐいを絞る仕草をして
「ネジリンボウ」
と説明なさっていました。
「なるほどなぁ?!」
と僕は感心してしまいました。そんな手話が正式にある筈はないのですが、何と分かり易いのでしょう。健聴者の我々だって二度と忘れません。これが「フトハゼ」であったら、とっても面倒な手話になっていた事でしょう。
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次回はこのねよし(富戸の波)さんのコメントに対する僕(HARAZAKI.NET)のコメントになります。
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外観による命名は混乱を招く - シリーズ「和名考」その3
- 2010年4月 6日 20:40
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今回は僕(HARAZAKI.NET)のコメントになります。
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しげる - HARAZAKI.NET (2010/03/24)
ねよしさんの和名に対する熱い思いは昔からきっちり理解しております。(^^)
「ネジリンボウ」は僕もとても良いネーミングだと思っています。
しかし、僕がこの和名を良いと感じるのは最後に「?ンボウ」と付くからだと思います。
いわゆる"その魚自身とはまったく関係のない言葉"を付ける事で親しみを増しているのです。
これが「その魚自身の"見かけの"模様」だけを表したネジリハゼだったら、きっと僕も良い和名だとは思わないです。
単に混乱を招くだけの危ない和名だと思います。
> 「危ない」「安全」と言う意味がよく分らないのですが、
僕の言う「危ない」「安全」は混乱を招くかどうか?普段魚に接する事があまりない一般の方が聞いたときに和名に引っ張られて疑問を生じさせないかどうか?という事です。
人はなぜか必ず和名に引っ張られます。
その魚の特徴を和名に充ててしまったが故に、混乱している方はダイバーでも多数見られます。
特にビキナーダイバーの方に多い質問に次のようなものがあります。
「(和名が)"アカ?"なのにナゼ赤くないの?」
「(和名が)"タテジマ?"なのにナゼ縦縞じゃないの?」
ある程度、魚が好きでよく観察し、勉強しているダイバーなら、死後、魚の体色が変わることや、成長過程や雌雄、親子、そして興奮状態で体色や模様が変わることは知っています。
しかし日本国民の大多数は、そこまで魚を見ていないでしょうから、ちょっとツッコムとこうした疑問を持つと思います。
また体色や模様をそのまま和名に充てても、それはあくまでも現時点での話で、今後もっとその和名に適した魚が出てくる事も考えられます。
例えば魚の模様が縦縞だからと言って「タテジマ?」という和名を安易につけてしまっても、その後さらにクッキリとした縦縞をもつ魚が現れるなんて事は頻繁に起こっています。
その結果、その魚に「ニセタテジマ?」とか「ミナミタテジマ?」などという和名を充てる例が多くなっていきます。
そしてビキナーダイバーの方はこう質問してくるでしょう。。。
「なぜ、こっちの方がクッキリ縦縞なのに、こっちはニセなの?」
また不思議なもので、人は和名に引っ張られ過ぎるが故に、ネジリンボウ、ヒレナガネジリンボウ、キツネメネジリンボウと3種いるとしたら、最初の1種こそが代表魚、基本種、はたまた普通種だと思ってしまう傾向があります。
(種類によっては後続の種類が最初の1種よりも劣っているような錯覚を感じてしまう場合もあるのでは?)
ダイバー(観察者)の多い伊豆ではその通りなのかもしれませんが、例えば屋久島ではネジリンボウは稀種です。
見たこともない。
ヒレナガネジリンボウが最もよく見られるハゼなのですが、これまでのダイビング人生でネジリンボウをまったく見たことがない僕の中では、ヒレナガネジリンボウこそが「ネジリンボウ」の名を冠するべき魚であり、ネジリンボウは"ヒレナシネジリンボウ"とでもして欲しいくらいです。(笑)
こんな感じで僕も和名に引っ張られています。。。(^^;;
和名とはそういう種類のもの(和名がその魚のイメージを形成する)なので、やはり和名には「(現時点での)その魚自身の"見かけの"模様」を充てることは避けてもらいたいと思います。
まだ"その魚自身とはまったく関係のない言葉"である地名や人名を充てる方がマシだと考えます。
可能なら"その魚自身とはまったく関係のない美しい日本語"を充てた和名であれば、その方が好ましいとは思いますが、すべての学者さんがそのようなネーミングのセンスを持っているとは限りません。
余談ですが千葉県博の奥野さんはエビの名前に七福神すべての名前をつけようとビシャモンエビとかベンテンコモンエビなど素敵な和名をつけていますが、こうしたセンスのある学者さんは稀だと思います。
となると、やっぱり無難なのは地名や人名なのかなぁ。。。と思ってしまいます。
「えっ?この魚は屋久島にしかいないの?」
などと勘違いされてしまう危険性はありますが、地名の場合、どちらかというと次のような質問、というか言葉の方が圧倒的に多いです。
「えっ?これって沖縄にもいたよ?伊豆大島でも見たよ!」
それに対して僕はこう答えます。
「屋久島で標本が取られ、それを元に論文が書かれたからヤクシマキツネウオなんだよ。海水魚の世界で固有種というのはそもそもあまり例はありません。」
と。(実際は未だに成魚の記録は屋久島だけなのですが。。。(笑))
ここには体色や模様といった、下手すると個人個人で見え方が変わるものを基準に和名をつけていないので、その説明だけで十分だと思います。
これを仮に他では見られない成魚オスの最大の特徴から和名をつけて「アカヒレキツネウオ」などとしたら、説明が大変です。
納得してもらえるかも怪しいです。
見方によっては赤く見えないかもしれないし、そもそも多くの人のヤクシマキツネウオのイメージは蛍光ブルーの体色に蛍光イエローのライン2本の幼魚の方だと思うので。。。(笑)
思わず長くなってしまいました。。。申し訳ありません。
やっぱり、ムダに長くなってしまいました。
簡潔に言いたい事をまとめられる技術と文才が欲しいです。
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次回はこの僕(HARAZAKI.NET)のコメントに対するねよし(富戸の波)さんのコメントになります。
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僕が望む「標準和名命名規則」 - シリーズ「和名考」その4
- 2010年4月 7日 23:55
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今回はねよし(富戸の波)さんのコメントになります。
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ねよし - 富戸の波 (2010/03/24)
長い話にお付き合い下さり有難うございます。
>> やっぱり、ムダに長くなってしまいました
いえ、非常に充実した内容で、参考になりました。こうなったら僕もトコトンお付き合い致します。しげる君の論旨に沿って、僕なりの考えを述べさせて頂きます。
>> 僕がこの和名を良いと感じるのは最後に「?ンボウ」と付くからだと
>> 思います
僕もそう思います。これを「その魚自身とはまったく関係のない言葉」とするならば、その通りですが、でも日本語の豊かさを表わした言葉だと思います。「甘えん坊」、「立ちん坊」など、「?ん坊」と続けるだけで何だか可愛さと共に少し寂寥感も感じてしまう良い接尾語です。
現実にはそんな物はないのですが、僕が望む「標準和名命名規則」は、優先順位から言うと、
1) 魚の外観、大きさ、生態、生息環境に基づいて命名する(実体と和名の
結び付きを強くして覚え易くすると言う機能的要請。名前を聞いたらその
魚を思い出せる様に)
2)日本語の豊かさを感じさせる名前とする (親しみ易さを目的に折角日本
語で名前を付けるのだから、その広い語彙や歴史を生かしたい、遊び
たいと言う文化的要請。が、結果としてそれが和名の覚えやすさに繋が
り、上の機能的要請も満たす事になる)
の2つです。ネジリンボウはこの2条件を見事に満たしています。
>> 人はなぜか必ず和名に引っ張られます
学名では一般の人々が全く関心を持てないので標準和名が提唱されているのでしょうから、「引っ張られる」と言うのはある意味では本懐と言えるとも思います。引っ張られない、つまり関心を持たれない和名では意味がありません。ただ、その内容が伴っていなければならないのは言うまでもありません。
>> 「(和名が)"アカ?"なのにナゼ赤くないの?」
>> 「(和名が)"タテジマ?"なのにナゼ縦縞じゃないの?」
この問題だけに限って言えば、そして、仮に僕がダイビングガイドだったならば、お客さんがこんな疑問を持って下されば、それこそ「待ってました」の美味しい展開です。
「黄色いのにどうして『アカヒメジ』なの?」
「横縞なのにどうして『タテジマキンチャクダイ』なの?」
と言う問題を出発点にして和名の定義の面白さ、魚の体色変化の不思議さなど様々な方向に話を広げる事が出来ます。僕は、それらの和名を付けて呉れた人に感謝しますね。
>> 体色や模様をそのまま和名に充てても、それはあくまでも現時点での
>> 話で、今後もっとその和名に適した魚が出てくる事も考えられます
これは仕方の無い事と腹を括るしかないと思います。ネジリンボウを例に取るならば、
「もしかしたら、昔の散髪屋さんのポールの様に、赤白青の三色で見事に
ねじれたハゼが将来現れるかも知れないから『ネジリンボウ』の命名は見送
ろう」
などと躊躇する必要は全くないと思います。見事にねじれたハゼがいつの日か本当に発見されたら、その時に当の記載者が頭をひねって命名すればよいのです。
>> その結果、その魚に「ニセタテジマ?」とか「ミナミタテジマ?」などという
>> 和名を充てる例が多くなっていきます
仰る意味はよく分かります。でも、これは「人名」や「地名」に基づく名前を付けたって事態は同じではないでしょうか。近い将来に、
「ニセヤクシマキツネウオ」
「ミナミヤクシマキツネウオ」
と言う名の魚が記載される可能性だって大いにあるでしょう。
>> ネジリンボウは"ヒレナシネジリンボウ"とでもして欲しいくらいです
これも上と同じ議論であり、仮に将来、「ヒレナガヤクシマキツネウオ」と言う魚が記載された時、
「ヒレナガヤクシマキツネウオはこれまでのヤクシマキツネウオより劣る種で
あるかの様に響くじゃないか」
「これまでのヤクシマキツネウオは『ヒレナシヤクシマキツネウオ』にして
くれ?」
と言う議論も出て来るでしょう。だから、これは「外観に基づいて命名するか」「地名・人名で命名するか」とは異なる問題なのです。
先の発言にも少し取り上げましたが、既に存在する種の語頭や語尾に新たな言葉を付け足して新たな和名とする命名に僕は個人的には反対です。それは、
「既に報告されている種に似ていると表わす事で繋がりを印象付ける」
と言う機能により、上の1) の要件(外観で命名)は満たしますが、余りに安易で2)の要件(豊かな日本語)は満たし得ないと考えるからです。それに徒に長い名前になって行くと言うのも気に入りません。ただ、これは直ぐに解決すべき大きな問題とは思わないので、将来何らかのルール作りが行われればなと願うくらいです。
>> 和名とはそういう種類のもの(和名がその魚のイメージを形成する)なので
繰り返しますが、その魚をイメージ出来る様に標準和名のシステムがあるのだと僕は考えるので、「魚」と「イメージ」を切り離すのであれば僕には標準和名は最早必要ありません。だから・・・
>> やっぱり無難なのは地名や人名なのかなぁ。。。
地名や人名由来の和名は1) の要件 2)の要件共に満たさないので僕は避けて欲しいと願っています。つまり、命名の背景を聴いたとしても、魚の実体(外観)と和名が結び付き辛く、その上何だか安易な命名に思えて面白くありません。よって、覚え難い和名になってしまうのです。
どなたも、ご自分のお子さんに名前を付ける時にはウンウンと唸りながらああでもない、こうでもないと考えを巡らすのだろうと思います。標準和名なんてさほど重要に感じていない学者さんも、そんな情熱の一部でもご自分の記載なさる生き物の命名に注いで欲しいと願うのです。なんなら、新種(新記載種)のお宮参りまでして欲しいくらいです。
おっと、僕もダラダラ長い文章になってしまいました。和名について議論する機会なんてあまりないので、この文章をまとめるだけでも考えを整理する良いきっかけになりました。どうも有難うございました。
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次回はこのねよし(富戸の波)さんのコメントに対する僕(HARAZAKI.NET)のコメントになります。
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「和名に引っ張られている」という状態 - シリーズ「和名考」その5
- 2010年4月11日 21:46
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今回は僕(HARAZAKI.NET)のコメントになります。
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しげる - HARAZAKI.NET (2010/03/24)
お付き合い頂き、ありがとうございます。(^^)
やはり僕は自分が言いたいことの論旨を外れることなく、しっかりと第三者に伝える文章を書く力が弱いようです。。。(笑)
> 和名について議論する機会なんてあまりないので、この文章をまとめるだけでも
> 考えを整理する良いきっかけになりました。どうも有難うございました。
いやいや、それは僕も同じです。
これを機会に自分の考えをまとめて自分のブログに書けるようにしたいと思います!
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まず、これなのですが。。。
> 仰る意味はよく分かります。でも、これは「人名」や「地名」に基づく名前を付けたって事態は同じではないでしょうか。
> これは「外観に基づいて命名するか」、「地名・人名で命名するか」とは異なる問題なのです。
まったくその通りだと思います。(^^;;
すっかり自分が言いたいことの論旨を外れてしまいました。。。
これは、ねよしさんの考えと同じように「既に存在する種の語頭や語尾に新たな言葉を付け足して新たな和名とする命名」に対する反対意見でしたね。。。完全に他の問題をゴチャマゼにしていました。
> 「既に報告されている種に似ていると表わす事で繋がりを印象付ける」
そうそう!そうです!!
それも「ニセ?」とか「ミナミ?」という和名が及ぼす弊害のひとつですよね。。。
「ミナミ?」とかつけると何だか本種(?)に対して、「ミナミ?」が亜熱帯種であるかのような錯覚に陥ります。。。(^^;;
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言いたいことの論旨に戻しますね。
僕は決して外観に基づいた命名は絶対にダメだ?!!と言っているわけではありません。
「地名や人名はその魚を想像できない」というのであれば外観に基づいた命名もそれは同じではないか?
むしろ、どちらかというと外観に基づく和名の方が様々な弊害を生んでいるのではないか?という事を言いたいのです。
魚(生物)は「人によって」、「場所によって」、「魚の状態によって」持つイメージや見え方は変わってきます。
- 人による感じ方の違い
ある人が「これはどう見たってタテ縞だろぉ?!」とか「これは間違いなく赤いだろぉ?!」などと当たり前のように思っていても、そうは思わない、見えない人は必ずいます。 また同じ魚を見ていても、ある人はその魚の体色が赤いことに強烈な印象もったかと思いきや、ある人には体側の青いラインの方が印象的だったりするかもしれません。 というか、そのようなケースはいろいろなゲストと話をしていると、しょっちゅう感じることです。
- 場所による見え方の違い
また魚は場所によっても見え方や色・模様は変わってきます。
伊豆では赤く見える魚も屋久島では白く見え、八丈島では茶色く見えたりします。
伊豆では濃紺に見える魚も沖縄では淡いエメラルドブルーに見える事でしょう。。。 - 魚の状態による外観の違い

前のコメントでも書いたように、成長過程や雌雄、親子、そして興奮状態で体色や模様が変わるのはご存知だと思います。
最近ではこんな話もありました。
一昨年、タソガレスズメダイという黒っぽい地味な魚が日本初記録され、新しい標準和名がつきました。
しかし国内ではその地味な成魚は稀で、綺麗なブルーの体色の幼魚ばかりが目に付くので、幼魚だけを見て「こんなに綺麗なのに、なんでタソガレなんでしょう??」と言っている方が沢山いました。。。(笑)追記:
この"モンスズメダイのブルーバージョン"と呼ばれていた子(幼魚)が"タソガレスズメダイ"として標準和名がついたと勝手に思っていたのだが、違うみたい。。。(・・;)
そうなると多少話が変わってくるのだが(笑)、ここでは「和名を考える」という趣旨の文で、なおかつ仮に同定が違っていたとしても、"幼魚だけを見て「こんなに綺麗なのに、なんでタソガレなんでしょう??」と言っている方が沢山いた"事は事実で、文の内容や流れからは特に問題はないので、このまま消さずに残しておきます。
。。。というか、むしろこれでますます「和名に引っ張られて真実が見えなくなってしまった」良い例になってしまったような気が。。。(笑)
2010/05/16

もっと有名なのはタテジマキンチャクダイでしょうか?
成魚は確かに縦縞ですが幼魚は渦巻き模様で、温帯域では南方から流れてきた幼魚しか見られない事から、初めて見たダイバーは、なぜ"タテジマ"キンチャクダイという和名なのか頭を傾げている事でしょう。。。(笑)
さらに和名提唱者(研究者)は死んだ標本を元に和名をつけるでしょうから、僕ら生きた魚を見ているダイバーとは見え方や最もその魚を特徴づけていると感じた点(目立つ標徴)は違ってくると思います。
例えば死んだ標本を見ている和名提唱者に背鰭の黒斑がよく目立つからと言って「セグロヘビギンポ」という和名をつけられても、生時はその標徴が見られなければ僕らダイバーには意味はないし、むしろダイバーには例えば、標本しか見ていない研究者の方は知らない、死後は印象が薄くなってしまうが"背鰭を振る仕草"の方が印象深かったりするなどのケースが非常に多いです。生時は黄色っぽい魚なのに死後は赤くなることからアカヒメジと名づけられた件も有名ですよね。
> 繰り返しますが、その魚をイメージ出来る様に標準和名のシステムがあるのだと僕は考えるので
確かに地名や人名を和名につけると、その魚を見たことがない方にはイメージができないでしょう。
しかし、それは外観でも同じことです。
なぜなら、そのイメージが万人に共通のものであれば良いのですが(万人が同じようなイメージを持てれば良いのですが)、
実際は見る人や、見る地域、見る環境、見る人の経験や知識、見る状態によって、感じ方は様々だからです。
和名提唱者Aさんには4本のラインに見えたから「ヨスジ?」という和名をつけても、ある人には5本に見えるかもしれない。
ある意味、ビギナーダイバーの持つ疑問はもっともなものが多く、「ヨスジ?」という和名の魚がいたとして、よくある質問として「なぜこの魚は5本ラインがあるのにヨスジ?という名前なんですか?」というものがあります。
これが僕の言う「和名に引っ張られている」という状態です。
ある程度、魚を知っていればあまり気にならないことなのですが、彼にとっては大疑問です。
これに対してその質問に僕はよくこう答えます。
「和名は研究者にはその時そう見えたからそういう名前がついただけで、決してその魚の絶対的な特徴をあらわしているワケではないから気にしないでください。あまり和名に引っ張られないようにした方がいいですよ。
これは、正(ただし)さんが必ずしも"正しい"わけではないのと同じです。(笑)
だって僕の名前は「しげる」と言いますが、決して木が茂っているようには見えませんよね?(笑)えっ?見える?(-_-;)」
つまり、魚の外見的特長(色や模様や形、そして仕草を含む)はその魚の万人が納得する唯一無二の標徴とは言えないと思います。
言い方を変えると、万人が納得する唯一無二の標徴というのは存在しないのだから、その魚の外観に基づいて和名をつければ、その魚をイメージできるという発想自体に無理があると思うのです。
ちなみに下記の例で僕が想定していたのは次の魚です。(笑)
> >> 「(和名が)"アカ?"なのにナゼ赤くないの?」
これはアカハタです。
屋久島では基本的に白っぽい個体が多いため、そのような質問が出るのだと思います。
写真の子は冬季に撮ったものなのでまだこれでも赤味がある方ですが、夏季の水温の高い時期で海中が明るい日などはもっともっと真っ白です。
> >> 「(和名が)"タテジマ?"なのにナゼ縦縞じゃないの?」
これはタテジマヘビギンポです。
この魚のオスは繁殖期の間はずっと白い横縞が目立ちます。
その縞の本数も多いため、オスを見ている限りではヨコシマヘビギンポでも全然問題ないぐらいです。(笑)
この写真の子はかなり興奮してしまって、白い横スジが斑状になってしまっていますが、通常は細く白い横縞が何本も出た状態になります。
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> >> 体色や模様をそのまま和名に充てても、それはあくまでも現時点での話で、今後
> >> もっとその和名に適した魚が出てくる事も考えられます
>
> これは仕方の無い事と腹を括るしかないと思います。
いや、そうは思いません。
最初から魚にはその外観から和名をつけることを避ければ良いだけだと思います。
和名がついてスグの頃だったら、その和名からすんなり魚を連想できると思いますが、他に似た魚やもっとその和名に似合う魚が見つかって、それに別の和名がつくと必ず混乱をきたすと思います。
のちのち必ず混乱してくる人、和名に引っ張られちゃう人がいるはずです。
というか、現になかなか魚の名前を覚えられな?い!と言っているゲストの多くはそれが原因のひとつだと見受けられます。
間違いなく、どこからどう見ても「タテ縞」であれば覚えられるのですが、その人にとっては違うのだからそれはさすがに覚えられない。。。(^^;)
![]()
これは先ほどの「ヨスジ?」が良い例です。
ベンガルフエダイ(右)という魚がいます。
この魚はヨスジフエダイ(左)にそっくりなので、今でもダイバーの間では混同され続けています。
それもそのはず、ヨスジフエダイ以上にクッキリと太く縦縞が4本あるのだから仕方がないのです。
それに対してヨスジフエダイには生時は5本目のラインが口から胸鰭、そして尾柄部にかけてしっかりと入っています。
これが混乱の原因です。
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> 学名では一般の人々が全く関心を持てないので標準和名が提唱されているのでしょうから、
> 「引っ張られる」と言うのはある意味では本懐と言えるとも思います。
> 引っ張られない、つまり関心を持たれない和名では意味がありません。
それなら地名や人名でも興味は十分に持たせることは可能だと思います。
外観に合っていないと興味をもてないわけではないと思います。
地名や人名でも和名には必ず物語があるはずです。
決して安易につけているとは思えません。
この和名がついた物語を知れば、その魚への関心も増すのではないでしょうか?
> 標準和名にも時代に耐える安定性があった方がよいと思うので、
外観に基づいてつけられた和名には時代に対する安定感があって、地名・人名に基づいてつけられた和名にはそれが無いとは思えませんが(笑)、仮にそうだとしても時代に耐えうる和名にする必要は本当にあるのでしょうか?
またまた、あまりにも長くなってしまったので、いったん、ここで切りますね。(^^;;
最後の「外観に基づいていなくても関心は持ってもらえる」という事と、「はたして時代に耐えうる和名にする必要があるのか?」という事については、また機会があれば話させてください。
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次回はこの僕(HARAZAKI.NET)のコメントに対するねよし(富戸の波)さんのコメントになります。
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ミナミヒレナガコクテンハゼ(新称) - シリーズ「和名考」その6
- 2010年4月15日 20:02
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今回はねよし(富戸の波)さんのコメントになります。
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ねよし - 富戸の波 (2010/04/15)
しげる君へ。
海の現場で実際に多くのダイバーの方々と接しているガイドさんらしい具体的なお話の数々、大変興味深く拝読しました。
「へぇ?、セグロヘビギンポの『背黒』は死んでから現れる斑紋に基づいているのかぁ」と勉強にもなりました。
「でも」
と、ここで敢えて申します。繰り返しになりますが、ネジリンボウを例にもう一度僕の考えを述べさせて下さい。
僕の手持ちの本で調べられる限りでは、1975年刊行の「魚類図鑑 南日本の沿岸魚」(益田一・荒賀忠一・吉野哲夫)がネジリンボウと言う標準和名を提唱した最初の例だと思います。
黎明期にあったスキューバ・ダイビングによって観察・採取を行なってまとめた本書は、当時としては画期的な図鑑だったのだそうです。
151にも上る未記載種を一挙に掲載したのですからそりゃあ当時の人々は驚いたでしょうね。
さて、この図鑑発刊時点ではネジリンボウには学名もなく、新属・新種であろうと考えられていました。
「和歌山県田辺湾の水深5mの砂底で体長5cmの2匹が採取された」
とされ、標準和名には(新称)と書かれています。
このネジリンボウが当時どれほど珍しい魚であったのかは分りませんが、従来の魚類学者の人々には見た事もない魚だったのかも知れませんね。
余談になりますが、この図鑑で提唱された多数の新称に、人名や地名に基づくものは僕が調べた限りでは一種もありませんでした。
さてそこで、今回しげる君が指摘した「外観に基づく命名の危険性」の各ポイントを胸に、仮に僕が1975年にタイムスリップしたとしてこの「ネジリンボウ」の名を見直してみます。
- 人による感じ方の違い
この魚を「ねじれ」とは感じない人が居るかも知れません。 事実、ネジリンボウの黒いラインは千歳飴の様にねじれている訳ではなく、単に体側に斜めの線が走っているに過ぎないのですから。 それでも、「ネジリンボウ」と言う分り易い名前を付けてくれてよかった。採取地にちなんで「タナベハゼ」なんかにならなくて本当によかったです。
- 場所による見え方の違い
採取地の和歌山から分布域を南下するに従って、この体側の斜めラインがいわゆる横縞に近い傾きになって行く傾向があるかも知れません。
そうなったら、南の海域では「ネジリンボウ」と言うより「ヨコシマンボウ」と言うべき状況になっているかも知れません。
そんな可能性が仮にあったとしても、「ネジリンボウ」と言う覚え易い名前を付けてくれて本当によかったです。 - 魚の状態による違い
この魚は幼魚段階では黒いラインなんか全く出ておらず、真っ白な体をしているかも知れません。
そうなると、成魚になるまでは、「これのどこがネジリンボウなの?」
と言う疑問が付いて回るでしょう。 その様な危険性は否定できないけれど、「ネジリンボウ」と言う愉快な名前付けてくれて本当によかった。
この様に書き連ねれば、僕としげる君の考え方の相違点が一層明らかになるのではないでしょうか。
つまり、標準和名に何を求めるのか、標準和名の何を大切にするのかの基準が僕としげる君で異なっているのでしょう。
そこで、標準和名を「外観や生態に基づいて命名する場合」と「地名や人名に基づいて命名する場合」のそれぞれについての利点・欠点を僕の脳内メーカーで計測してみました。
それが下の図です。

つまり、外観で命名する事は将来的に誤解を生み出す危険性を秘めているのかも知れませんが、それに勝る利点の方が遙かに大きいのです。
一方、人名・地名に基づく命名は誤解の原因となる可能性は少ないかも知れませんが、利点も同様に少ないと僕は考えているのです。
でも、しげる君の脳内メーカーではこのプラス・マイナスが僕のものとは全く異なっているに違いありません。
それを「価値観の相違」などと言ってしまっては議論もそれまでなので、もう少しその背景を探ってみます。
では、上に挙げた「利点」とは一体何なのでしょう。その最初は、「名前の分り易さと覚え易さ」でしょう。
しげる君からは「和名に引っ張られる」と言う言葉が度々出て来ますが、実際には「外観に引っ張られている」のであるとは言えないでしょうか。
「人を見た目で判断してはいけません」
とは、親や先生がよく子供に言って聞かせる事です。
でも、そんな事が時代を超えて言い伝えられて来たと言う事は、親や先生だって如何に見た目に振り回され易いかと言う事を物語っているのだと思います。
僕だって、もっとスラリと背が高くて苦みばしった顔つきをしていたら若い頃から女の子にもてもてで、今とは全く違う人生を・・・・・。くそぉ?っ、どうして涙声になってしまうんだ?ぁ。
いや、取り乱してしまって失礼しました。
ではここで改めて、「人は如何に外観に引っ張られ易いか」、逆にその外観を利用すれば如何に名前を覚え易いかを考えてみます。
僕は人の顔と名前を覚えるのが大変苦手です。
以前お会いした事のある人に、
「どうも初めまして」
と挨拶したり、
「あ?、この人、何て言う名前だったかなぁ?」
と愛想笑いなんて事はしょっちゅうあります。
ですから、仕事上で名刺交換した時などには、後でこっそり、
「白髪の木下さん」
「黒めがねの加藤さん」
などと名刺の隅にその人の特徴をこっそり書き込んでいます。
つまり、「白髪」や「めがね」などと言った外観の第一印象をその人の名前と結び付けようとするのです。
「白髪」なのは木下さんだけではないのですが、ぱっと見た時の第一印象が「白髪」ならば「白髪の木下さん」です。
加藤さんも次回会う時にはコンタクトレンズにしているかもしれませんが、まずは「黒めがねの加藤さん」なのです。
この時、
「皮肉屋の山下さん」
とか
「内気な堂本さん」
と言った内面の特徴ではなく外観の第一印象を掴む方が記憶に強く残る様に思います。
そんな中でも、顔と名前の結びつきが一番印象強く残るのは、
「太っているのに細井さん」
「小柄なのに大木さん」
と、名前と外観が直接結び付く時です。
特に上の様に名前と外観が正反対と言う場合には小さなストーリーがそこに生まれた様に感じ、より強く印象に残ります。
つまり、外観から名前へと言うのは人にとって自然な意識の流れであり、そこに何らかのストーリー性があれば人の記憶により一層強く残るのだと僕は考えるのです。
これこそ正しく、先に挙げた標準和名の2大要件、
- 外観や生態・生息環境に基づく命名
- 日本語の豊かさを感じる(身近な言葉にもストーリーを感じさせる)命名
に呼応するのだと思います。
でも、上の例は人の生活上の出来事に過ぎません。
そこで、今回の議論のテーマである魚の外観と名前について僕の経験を紹介させて下さい。
さて、名前の無い魚になぜ名前をを付けたいのでしょう。
研究者の方にとっては、分類するにしろ行動を調べるにしろ、それが最初の第1歩だからと言う事があるでしょう。
でもそれならば、厳密な規則で定義された学名を用いれば良い訳であり、それとは別に標準和名と言うシステムが広く親しまれているのには別の理由がある筈です。
僕の場合には、それは、
「魚との距離を少しでも縮めたい」
と言う気持ちです。
図鑑「日本のハゼ」は日本産のハゼを徹底的に網羅した素晴らしい完成度の図鑑である事はご存知の通りです。
この図鑑には未記載種のハゼも多数載っていますが、それらには標準和名はまだ無いので、
ベニハゼ属の1種?15
などと言う表現になっています。
これは致し方ないでしょう。
でも、ダイバーの間ではこれがいつしか「名前」の様な機能を持ち、
「ベニハゼ15のこの斑紋は・・」
などと言う会話が交わされて来ました。
しかし、何だか無機的でよそよそしい名前ですよね。
これに対し、研究者の方が分類的位置を定めて、
「ダイトクベニハゼ」
と言う標準和名を提唱して下さった途端、何だかほっとした様に感じ、その魚が急に近しい存在に感じるから不思議です。
その魚自身は何も変わっていないにもかかわらず名前一つがこんな働きをするのです。
更に、もし海の中でこのダイトクベニハゼを継続観察でき、複数の個体を識別して一匹ずつに固有の名前(愛称)を付ける事ができたならば、その魚との距離は更に縮まるでしょう。
僕自身が標準和名の命名に関わる事など一生ないでしょうが、愛称の命名ならば僕にも出来ます。
実は、富戸のダイビング・エリアに居るクマノミの成魚を2005年以降全て僕は個体識別して来ました。
そして、性転換、ペアの形成、産卵、消失などの記録を積み重ねて来たのです。
この各個体に対して、その外観の第一印象に基づいて僕は自分なりの愛称を付けていました。
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例えば、富戸には珍しい真っ黒の個体に対しては「コクトー(黒糖)」、尾ビレの湾入が大きい個体に対しては「ヤジリ(鏃)」と言った具合です。
黒っぽいクマノミはコクトーだけではなく、尾ビレの形が目立つのはヤジリだけではないのですが、外観の第一印象と名前が一旦結びつくと個体を混同する事はありませんでした。
ところが、新たな成魚が次々と現れた2008年頃、命名が追いつかなくなってお手軽に、
2008-A (2008年に初登場した成魚の内、最初の個体)
2008-B (2008年に初登場した成魚の内、2番目の個体)
と名付ける様になりました。
すると、その途端に個体の認識度が落ちてしまったのです。
「あれっ? 2番目のラインが太いこいつは2008-A だったかな、2008-C だったかな」
などと海の中で迷ってしまうようになったのです。
だから、Exit 後にノートを見て、
「そうか、あのラインはやっぱり2008-C だったんだ」
と確認する始末です。
つまり、系統だった数字とアルファベットの名前を付けても、それを覚えるのに結局外観の特徴を手掛かりにしているのです。
先に紹介した、
「白髪の木下さん」
と言うのと同じです。
こんな事なら、邪魔くさがらずにこのクマノミに対して、
「ニバンブト (2番太)」
等と最初から名付けていればよかったのです。
一方で、
「上のクマノミ例は、数字の様な無機的な名前だから覚え難かったのだ。外観と関係なくても何らかの意味のある言葉で名付けていれば覚えられたのではないか」
と言う考えがあるかも知れません。
それについてはこんな経験があります。
富戸の普通種であるタカノハダイは尾ビレの白い斑紋によって個体識別が可能です。
その事に気付いた時、磯に生息するタカノハダイ12匹を個体識別して、各活動範囲と共に長期定点観察しようとした事がありました。
その時も、1匹1匹に僕の愛称を付けたのですが、今度は、僕の好きなジャズ・ミュージシャンの名前を片っ端から付けて行ったのです。
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この度は数字の名前ではありません。
各個体の名前を聞くだけでそれぞれのプレーヤーの顔だけでなく演奏の音までが頭の中で響くのです。
こんなに立体的なキーポイントはないでしょう。
ところが、結局は先ほどのクマノミの場合と同じでした。
「あれっ? ここに白点が並んでいるのはトレーンだったかな? いやモンクだったかな?」
とやっぱり海の中で混乱してしまったのです。
それぞれの名前のミュージシャンには強い親近感があったのですが、その名が実際のタカノハダイと結びついていなかったのです。
よって、その魚を近しく感じることは出来ず、その時頼りになるキーポイントはやはり斑紋と言う外観なのでした。
演奏のソロパートを諳(そら)んじる事が出来る程に親しみを感じているプレーヤーの名を付けてもこうなのですから、馴染みのない人名や地名なら尚更です。
以上が、僕が考える「外観に引っ張られて命名する事の利点」です。
この名を、愉快で美しく、ストーリーが自然に湧いて来る様な日本語で綴る事ができれば、一層覚え易く親しみ易い標準和名となるでしょう。
外観を分かり易く表しているけれども、少し素っ気無く無機的に感じる標準和名があるのも事実です。
例えば、標準和名にありがちな語幹を適当に繋げて、
ミナミヒレナガコクテンハゼ
なんて魚を勝手に作っても、実在しそうな気がしませんか。
ですから、できるだけその魚の個性が際立った名前を付けて欲しいのですが、これは少し贅沢なお願いでしょう。
実際に命名する機会が多い研究者の方々にとってはいつもいつもそんなに工夫を凝らしてもいられませんものね。
あれま。
今回もまたまた長い長い手紙になってしまいました。
でも、「外観に基づく豊かな日本語による命名」についての僕の思いは凡そ語り尽くせたと思います。
単に魚の名前の問題だけではなく、生き物を見る姿勢と言った事についても考え直す良い機会となりました。
どうも有難うございます。
では、続きは屋久島に今度伺った時にでも。
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次回はこのねよし(富戸の波)さんのコメントに対する僕(HARAZAKI.NET)のコメントになります。
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和名を通して文化を継承する - シリーズ「和名考」その7
- 2010年4月19日 21:26
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今回は僕(HARAZAKI.NET)のコメントになります。
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しげる - HARAZAKI.NET (2010/03/24)
ヘビベース
外観の第一印象から愛称(ニックネーム)をつけるという話、よ?く分かります!(^^)
ヘビベース」なるヘビギンポのデータベース・サイトを運営しています。
ヘビギンポの仲間はご存知の通り、分類の難しい種類なので研究が進んでおらず、まだ正式な名前のないものが山のようにあります。
「ヘビベース」ではこれに覚えやすいように、また識別しやすいように、未記載や未同定だけど婚姻色などから明確に分類できる種類に勝手な愛称をつけています。
さすがに「ヘビギンポA」とか「ヘビギンポB」では、絶対に印象に残らず不便なので、外観の第一印象や関連する地名などから単純に思いつきで付ける事になります。
(余談ですが僕はこの愛称にわざと漢字を入れたり、絶対に「ヘビギンポ」という言葉は入れないように注意しています。それが標準和名だと思わせてしまう事を防ぐためです)
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例えば頭に点々があるから「頭テンテン」とか、口に口紅を塗ったような顔をしている事から「お洒落ヘビ」とか。
それは他の方が見たらそうは見えないかもしれません。
でも、いいんです。
これは僕個人が好きなヘビギンポを自分なりに(個人的に)分類できれば良いと思っているだけだからです。
ちなみにその愛称の中には「地名」を含んでいるものもいくつかあります。
これは僕が最初にそのヘビギンポを知った経緯から、外観よりもその土地の名前の方がそのヘビギンポを思い出しやすかったからです。
例えば、最初に見つかった場所が沖縄本島の恩納村だったヘビギンポがいるのですが、さらに続けて別の方からの2回目の報告も恩納村だったため、「うぉ?!!こいつらって恩納村からの報告ばかりじゃん!」と強く感じた事が頭に残っており、それでそのヘビギンポには「恩納ヘビ」と名づけました。
あとで思い出すときに外観よりもその地名からの方が連想しやすい場合もあるのです。
しかしこの場合も、これを連想できるのは多分、僕だけだと思います。(笑)
でも、いいんです。
これは僕個人が好きなヘビギンポを自分なりに(個人的に)分類できれば良いと思っているだけだからです。
個人レベルで楽しむのなら
つまり、個人レベルで楽しむモノなら、名前なんて何でも良いのだと思います。
外観から連想しやすいと感じれば外観から、地名から連想しやすいと感じれば地名から、それぞれ自分が覚えやすい名前を思いつきで付ければ良いわけです。
このヘビベースに関してはまだ正式な標準和名のない種類を、個人的に遊びで分類しているだけなので良いのですが、学術的に分類が確定した魚に対して正式な標準和名を提唱する場合、このように単純に個人的な感じ方や思いつきで和名をつけるというのはどうなんでしょうか?( ̄へ ̄|||) ウーム
和名というのは日本国民の誰もが共通認識を持てるようにするためのモノであり、個人的な感じ方や思いつきで名づけるのは本来ならナンセンスだと思います。
それが許されるのは種レベルではなく、個体識別の際の個体レベルまでだと思います。
なぜなら個体レベルの共通認識を必要とするのはせいぜいそれを行う個人、もしくは一定のグループ内だけの話だと思うので。。。
ねよしさんの人間に対する
「白髪の木下さん」
「黒めがねの加藤さん」
とか、クマノミに対する
真っ黒の個体に対しては「コクトー(黒糖)」
尾ビレの湾入が大きい個体に対しては「ヤジリ(鏃)」
というのは、個体レベルの話です。
個体レベルの識別だったら、通常はそれを行う個人、もしくは一定のグループがそれを認識できれば良いだけなので、個人的な感覚や思いつきで命名すれば良いのですが、今、話題にしているのは「ヒト(Homo sapiens sapiens)」とか「クマノミ(Amphiprion clarkii)」という種レベルの命名の話です。
僕の脳内メーカー
それでは種にはどんな名前をつければ良いのか?という話ですが、結局これはどんな名前をつけても一緒だと思います。
外観でも生態でも、地名でも人名でも。。。
どれも一長一短で、それぞれ短所もあれば、それぞれ長所もあります。
どれにしたって混乱はあるのなら、そこに拘る必要はまったくない。
(ちなみに左が僕の「脳内メーカー」です。)
だったら、そのように命名した理由(物語)がしっかりあるものであれば、外観、生態、地名、人名を問わず、何でも良いのではないでしょうか?
それに最初に深く関わる人(研究者や第一発見者など)が好きな名前を思い入れを込めてつければいいと思います。
ただ出来れば、単純に個人的な感じ方や思いつきを基にしたもの(特に外観や生態に基づいた和名にそのようなものが多い気がしますが、地名や人名に基づいた和名でもありえる事だと思います)だけは避けるようにした方が良いとは思いますが。。。
あとに続く者たちはその魚との接点が同定作業(その魚と同じ種類である事を図鑑や標本などで確認する作業)になるのだから、あとはそれに従えば良いだけだと考えます。
和名のネーミング方法
僕も和名にも学名のように「標準和名命名規則」のようなものは必要だと考えています。
しかし、その中で定めるものは、その手続き方法(例えば"標準和名は必ず標本に基づき論文やリストの形で提唱する"など)だけで良いと思います。
和名のネーミングについては、学名のように細かく、ガチガチに規定するのは反対です。
和名のネーミングに規則がないのはむしろ良いことだと考えることはできないでしょうか?
魚を正確に分類し、学術的に後世に伝える役割をするのは学名だけで良く、逆に和名は一般の人に親しみを感じさせる目的であるなら、かなりの自由度を設けた方がいいと考えます。
ネジリンボウの「?ボウ」のように、遊び心さえもあって良いと僕は思っています。
何度も言いますが、「ネジリンボウ」という和名の良いところは「?ボウ」の部分があるからであって、「ネジリハゼ」では決して良い和名だとは感じないはずです。
「ネジリハゼ」では、「ミナミヒレナガコクテンハゼ」同様に"少し素っ気無く無機的に感じる標準和名"だと思います。
また"和名の命名"を「ある地域に人の目を向けさせる(地域おこし)ツールとして利用する」というのもありだと思っています。
実際、屋久島という島は偉大な森の存在が大きく、海への関心が薄い島なのですが、「ヤクシマキツネウオ」の命名によって屋久島の住民に自らの海に目を向けさせる良い機会になったと思います。
これまで屋久島の陸生動植物には「ヤクシマ?」の名前を冠した生き物が沢山いるのですが、海に関しては数種しかいませんでした。
住民の中でまったく海と接点のない方が「ヤクシマキツネウオ」の名前を知っていて、それを誇りに思う気持ちを芽生えさせた事は価値ある効果だと思います。
ちなみにこの「ヤクシマキツネウオ」は元々屋久島近海には非常に多い魚で、地元では「マッドイボ」と呼ばれ、イカ釣りのエサなどに使われるメジャーな魚だった事を付け加えておきます。
ちなみに、その数ヵ月後、同じく屋久島の宮之浦川で採取された日本初記録のハタがいます。(これは今でも国内では屋久島のみの記録)
この魚には「シラヌイハタ」という和名がつけられたのですが、今でもこの魚の存在をほとんどの島民は知りません。
「ヤクシマ?」の名前がついていなければ、話題にもならないのです。。。
標準和名で文化を継承する
人名も同様です。
先日、「イズオコゼ」という魚が新種記載されました。
これはこれまで伊豆などで「マスダオコゼ」だとされていた魚が実は誤同定で未記載種(新種)だったという話なのですが、この「マスダオコゼ」は伝説のダイバー・益田一さんに献名されたものだと勘違いしているダイバーが多いようですが、実はまったく違います。
この魚の「マスダ」は戦前に実在した若い優秀な研究者さんの名前だそうです。
彼は魚類学を志し、学生ながら極めて質の高い論文をいくつか書いており、ある研究者の方はこのマスダさんが研究を続けられていれば、今日の分類体系にも影響があったのでは?というほどの優れた方だったとお聞きしています。
しかし、この前途有望な学生さんは、太平洋戦争末期の学徒出陣のために召集され、戦死してしまったそうです。
もし、標準和名にこの方のお名前が残らなければ、マスダさんの無念は語り継がれなかったことでしょう。
これは、ある研究者さんが言っていて、僕も非常に共感したことなのですが。。。
時代に影響されることのない安定した言葉を標準和名に充てるのも大切なのかもしれませんが、むしろ
"時代によって価値が変わってしまう言葉(人名、地名含めて)、忘れ去られてしまう言葉を標準和名の中に残すことで、その文化を継承し続ける"
という事もジャンルを越えて使用される機会の多い標準和名がもつ大事な役割だと思います。
この和名を例にすると、これがきっかけとなって、魚に興味を持つ若い人たちにも「太平洋戦争」「学徒出陣」など、かつて暗黒の歴史が私たちの国にあったことを説教くさくなく語っていけるでしょう。
和名は「人文科学」、「社会科学」の領域にもまたがる
これもその研究者さんの言葉の受け売りになりますが、「生物に名前をつける」こと、特に和名の命名は、「自然科学」であることはもちろん、「人文科学」、「社会科学」の領域にもまたがっています。
標準和名が日本の文化のひとつと位置付けるならば、地域活性化に利用されることは大いに推奨されるべきではないでしょうか?
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ただ和名のネーミングに関して注意すべきだ、ある程度規定すべきだ、と考えている事もあります。
それは地方名や昔から日本人に使われてきた名前との絡みです。
例えば、昔から産卵期で脂が乗って「身が桜色」になったマダイが桜鯛と呼ばれていますよね?
そうなると、ハタ科ハナダイ亜科のサクラダイの命名はナンセンスだと思います。
知らない人が聞いたら混同してしまう可能性もあります。
サクラダイの和名提唱者はもう少し配慮しても良かったように感じます。
これは先ほどの"標準和名が日本の文化のひとつと位置付ける"という事と関連しているのですが、昔から呼ばれている地方名や呼称名は日本の文化です。
すでに別の魚に使われている呼称名を標準和名には使わない事や、ある程度、その地方特有の「ならでは」の魚であるなら(固有種という事ではないです=海では固有種というのはほとんど存在しないと考えています)可能な限り地方名を標準和名にするのもアリだと思います。
この日本古来の文化を尊重して和名をつける事は最低限必要なことだと考えています。
そんなわけで、僕は、ねよしさんのいう「標準和名命名規則」の中で
2)日本語の豊かさを感じさせる名前とする (親しみ易さを目的に折角日本
語で名前を付けるのだから、その広い語彙や歴史を生かしたい、遊び
たいと言う文化的要請。が、結果としてそれが和名の覚えやすさに繋が
り、上の機能的要請も満たす事になる)
だけは大いに賛成しております。
-----------------------
追伸:
> 外観を分かり易く表しているけれども、少し素っ気無く無機的に感じる標準和名があるのも事実です。
先日もそのような例に当たると思われる標準和名が提唱されました。。。(笑)
新属新種のようなのですが、その属名と一気に4種のハゼに「外観を分かり易く表しているけれども、少し素っ気無く無機的に感じる標準和名」がつけられました。
ホオカギハゼ属 - 頬の後端に突起がある事が由来になっているようですが、僕らが水中でそれを肉眼で確認するのは難しいようです。
フタヒレホオカギハゼ - 「日本のハゼ―決定版」P472に載っている「ハゼ科の一種4」。
ウロコホオカギハゼ - 「日本のハゼ―決定版」P475に載っている「ハゼ科の一種7」。
アサバノホオカギハゼ - 「日本のハゼ―決定版」P473に載っている「ハゼ科の一種5」。
イトカケホオカギハゼ - 「日本のハゼ―決定版」P474に載っている「ハゼ科の一種6」。
それぞれ、その特徴や生態に応じて、フタヒレ、ウロコ、アサバノ、イトカケと名づけられたわけですが、多分、僕は浅場(アサバ)に偶然ウロコホオカギハゼがいても、きっとアサバノホオカギハゼだとしか思わないでしょう。。。(激似!)
またフタヒレとイトカケも激似なので、単純に名前に引っ張られて混同しそうな気がします。。。(^。^;)
この場合、属名は正確な形状的特長を示しているのでまだいいのですが、種名に関しては個人的な感じ方や思いつきで名づけたようにしか思えません。。。しかも死んだ標本を基に。。。(笑)
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次回は僕(HARAZAKI.NET)とねよし(富戸の波)さんのまとめ「議論を終えて」になります。
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議論を終えて - シリーズ「和名考」その8
- 2010年5月10日 21:22
- 和名について真面目に考えてみた。 - 往復書簡
今回は僕(HARAZAKI.NET)とねよしさん(富戸の波)のまとめコメントになります。
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ねよし - 富戸の波 (2010/04/23)
しげる君へ。
長い議論にお付き合い下さって本当に有難うございました。二人の遣り取りをご覧頂いた皆さんにも互いの考えを理解して頂けた事と思います。実り多い議論になりました。
僕が標準和名に強い関心を抱く様になったのは、1999年発刊の「海洋生物ガイドブック」に端を発するウミウシ類の和名の粗製乱造でした。標本採取とその分析・報告に因る事無く片っ端から「仮称」「新称」を付けた乱暴さもさることながら、「適当に」「取りあえず」と言った姿勢がその命名に感じられた事にショックを受けたのでした。
「多くの人が手に取る図鑑(ハンドブックと言い替えても同じ事)に名前を一旦載せてしまうと、それが定着してしまうのだから一つ一つの名前にもっと愛情を持って付けて欲しい」
と強く思いました。
ところが、当時もっとショックであったのは、ダイバーの皆さんからその様な声が殆ど聞こえて来なかった事でした。「和名テロはあったのか」と言う連載を「富戸の波」HP上で始めたのはそんな背景があってのことでした。
でも、読者の方々からは連載後も特別な反応は頂けず、標準和名について論じる事はそれ以降殆どありませんでした。だから、限られたテーマであったとはいえ、やはり和名に強い思いを持つしげる君との今回の議論は大変楽しむ事が出来ました。
さて、しげる君の前回のコメントにもあったので、「標準和名命名規則」の問題を最後に取り上げておきたいと思います。以前のコメントで、
>> 将来何らかのルール作りが
と書いた事もあるので、何らかの規則の制定を僕が望んでいると言う風に思われたかも知れませんが、実は正反対です。上で言う「ルール作り」とは、「多くの人で方向性を議論し合う」程度の意味です。これは誤解を招く表現でした御免なさい。
学名の命名規則の複雑さと堅苦しさを見るにつけ、標準和名にはそんな束縛は必要ない思います。人名や地名を冠した標準和名は個人的には反対ですが、規則で禁止するべき事ではないと思います。「ニセ?」や「?モドキ」の命名も僕は嫌だけれども仕方ないと思います。
「?はダメ」
「?は禁止」
と言った規則は僕が望む「豊かな日本語」「面白い日本語」とは相容れないと思えるからです。もし僕が「標準和名命名規則」を作るとするならば、その第一章は、
「標準和名の命名に際しては、何人たりとも本規則に制限を受けるものではない」
としてもいいと思う程です。ただ、ウミウシの和名騒動を教訓とするならば、
「標準和名の命名は採取された標本に基づいて行なう」
と言う規則だけはあった方がよいかも知れません。厳密な事を言えば、この標本の定義も正確に定める必要があるのでしょうが、その辺はまぁ穏やかに穏やかに。日本人の良識を信じましょう。「虫の名、貝の名、魚の名」と言う本に瀬能宏さんが書いておられるように、
「ルールはないが配慮は必要」
と言う姿勢でよいのではないでしょうか。
世界に冠たる図鑑・「日本産魚類検索 第2版」の発刊(2002年)以降に発表された新種や日本初記録種を、日本魚類学界はそのHP上でリストアップしています。そこで、2007年3月から2009年12月の間にこのリストに入った100種の魚を調べたところ、地名或いは人名由来と思える和名は以下の10種でした。全体の10%です。
- ウスジリカジカ
- ニホンキンカジカ
- オキナワホタルジャコ
- クシモトダルマガレイ
- オガサワラトラギス
- イトウオニヒラアジ
- ヤンバルサギ
- ホソオビヤクシマイワシ
- モリシタダテハゼ
- ノトカズナギ
地名・人名を標準和名に付ける事について、二人の研究者の方からご意見を伺った事が嘗てあります。すると、お二人とも、
「標本が得られた場所を表しているのだから何ら問題ない」
と言うお考えでした。標準和名を実際に命名する機会が多いであろう研究者の方がそう考え、実際に現在もそれが続けられているのですから今後も一定の割合で「地名・人名魚」は続いて行くことでしょう。
でも、上で調べた最新100種の新称魚の中で、
「何じゃこれ?」
と強く興味を惹かれ、ついつい詳しく調べてみたのは「マカフシギウオ」と言う魚でした。
マカフシギウオ 稚魚 (体長: 11.2mm)
Okiyama, Senou and Kawano (2007) Bulletin of National Museum of Nature and Science, Ser. A, 33 (1): 45-50.
この魚は稚魚期に上の図の様な訳の分らぬヒラヒラをぶら下げて泳いでいるのだそうです。本和名はその奇妙奇天烈な「外観」から名付けられたものです。この魚とて、「摩訶不思議」なのは稚魚期の短い間だけで、成魚を見れば、
「これのどこが不思議なの?」
と言われるのかも知れません。和名が混乱を生む元となるかも知れません。しかし、僕はこれは面白い命名だと思います。
「また和名に引きずられている」
としげる君は言うのでしょうか。でも、僕が
「和名に惹かれている」
事は間違いありません。
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しげる - HARAZAKI.NET (2010/05/10)
生き物の名前はたいして重要ではない
僕はダイビングの仕事を始めるずっと前、自然をガイドする仕事に着きたくて、インタープリター(自然案内人)や環境教育の様々な講習やセミナーに参加していた時期がありました。
その頃に日本自然保護協会の自然観察指導員の講習会にも参加したのですが、そこでで繰り返し講師の方が言っていたのが、
「生き物の名前はたいして重要ではない。名前に拘るな。名前を知らなくても自然観察はできる。名前よりも生き物の生活を見たり、感じたりすることが大切。」
という事でした。
しかし、当時の僕はそれを全然理解できず、「名前を知らなければ話にならない。ましてや指導者になるのなら名前を知らなくてどうする!参加者は名前を知りたいのに教えることができないガイドなんて全然ダメじゃん!」ぐらいの事を思っていました。
それどころか、そう言われたからといって名前を覚えない指導者は怠慢だ!努力が足りないんだ!などと思ったりもしていたものです。
実際、ガイドをしていると必ずゲストから名前は聞かれます。
そのため、ダイビング・ガイドを始めた当初は四六時中ずっと図鑑を手元から離さず、徹底的に魚の名前を覚えました。
魚の名前を覚えたら、フィッシュウォッチングが俄然面白くなったので、やっぱり名前は重要だ。。。とつい最近まで(屋久島に来る直前まで)そう思っていたのです。
ところがダイバーの来島はほとんど無い屋久島に来て、1人で黙々と潜る日々が続くようになると図鑑を見ても分からない魚がいても聞く人がいないため(屋久島に来る前までは魚に詳しい師匠がいつも近くにいた)、根本的な魚の見方や考え方、魚を見る姿勢みたいなものががらりと変わりました。
これまでは分からない魚が見つかると、図鑑で調べたり、詳しい人に聞いたりして満足していたのですが、屋久島に来てからは自分の中で種が識別できればいい、あえて名前を知る必要がない気がしてきたのです。
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自分1人が「これとこれは違う種類だ」と識別できればいいわけだから、名前はAでもBでもいいわけです。
AやBでは味気ないので、自分なりにその種の特徴を基に「ケツ黒」とか「赤い彗星シャア」とか「頭テンテン」とかニックネームで呼べばいいわけです。
結局、生物の名前というのは人間があとから便宜上つけたもので、その目的は不特定多数の人間の共通認識を形成する事です。
実際それがないと、他の海域で潜るダイバーとの情報交換さえできない。。。
しかし個人やある一定の仲間内でフィッシュウォッチングを楽しむだけなら、特に標準和名のようなものは必要ない事に気づいたのです。
それ以来、「生き物の名前はたいして重要ではない。」という教えの意味を心から実感しています。
"名前を知らなくても自然観察はできる"どころか、種の識別だって問題なくできるのです。
僕のフィッシュウォッチング(自然観察)論
結構、混同している方が多いのですが、同じ「分類」でも"同定"(生物の名前を調べること)と"識別"(生物を見分けること)は似ているようで全然違います。
自然の中に入って、生き物を深く観察すればスグに分かる事なのですが、名前など知らなくても生き物を識別することは容易にできるし、また、そもそも名前を覚えた(知った)からといって、その生き物を自然の中で識別できるとは限らないのです。
「この子とこの子は別の種類、この子とこの子は同じ種類」などと識別できるようになるためには、本質を見る必要があります。
その生物の生活を見て、社会(コミュニティー)を見て、行動を見て、ようやく識別ができるようになる事が多々あります。
(これを僕は「生態分類学」と勝手に呼んでいます。(笑))
これが分かってしまうと、標準和名や学名は無意味な感じがしてきてしまいます。
フィッシュウォッチングというと未だに単なる「名前当て」に終始している感は否めません。
初めて見る魚に出会うと、大抵のダイバーは名前を知りたがります。
それはそれで良い事なのですが、写真を研究者に送るなどして名前を教えてもらったあとは、それが正解だと信じて疑わず、その後、継続観察して本当の正解を知ろうとする事なく、そのまま満足&納得してしまう方は、生き物に強いとされる現地ガイドさんの中にも非常に多く存在します。
また、その生き物の名前に拘るあまりに、本質を見ることができずにいる方も多い気がします。
標準和名は単に1人の研究者が見た一側面的外観や関連する地名・人名、はたまたまったく関係のない言葉を元に命名しているに過ぎないのに、どうしてもここに疑問を持ってしまうようです。。。(^^;)
そういう意味では和名は人間があとから勝手につけた単なる記号に過ぎないと考えています。
名前じゃなくて、もっとその魚の本質(社会行動や生活、分布や生態系全体から見た位置づけなど)を見て欲しいと常々思っています。
実は正直言って僕は、名前は知らないけど、「これとこれは同じ種類」、「これとこれは別の種類」という風に見分けることができれば(識別ができれば)、和名など何でもいいのではないか?と思っていたりします。(笑)
名前が分からないと楽しさ、面白さが伝わらない、関心をもってもらえないというのは本当でしょうか?
魚の面白い行動や生態を見れば誰もが関心をもつはずです。
実際、生物の面白い行動や生態を撮った写真や動画は見る人をひきつけています。
そして、そうした生き物の不思議な行動をテレビなどで見る場合、その生物の名前にはあまり拘っていない人は多いのではないでしょうか?
左の動画(キンセンイシモチの産卵行動)を見て、まずはイの一番にこの魚の正式な標準和名を知りたがったり、この魚がキンセンイシモチのドット型なのか?ライン型なのか?(キンセンイシモチは2種に分かれるとされています)などに拘る人はいるのでしょうか。。。?何はともあれ、名前よりもまずは感動したり、感心したりするのがごくごく普通の反応ではないでしょうか?
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また、根吉さんは"その魚をイメージ出来る様に標準和名のシステムがある"と言いますが、生き物に接する場合、まず名前から入ってその見たことのない名前の生物を探す、という手順を踏むものなのでしょうか?
通常はまずその生物を実際に現場で見て、それから名前を知りたくなって図鑑などで確認するという流れが普通なのではないでしょうか?
実際、ダイバーにとっては大抵の場合、「名前」からその魚が思い浮かばないのではなく、その魚を見て「名前」が思い浮かばないのだと思います。
これは言い方を変えると"魚の姿"が思い浮かばないのではなく、単なる"言葉"が思い浮かばないのです。
フィッシュウォッチングは「名前」ありきの"言葉"遊びではなく、まず「生き物」ありきの活きた魚を見る事が基本だと思います。
名前からその魚を思い出すのではなく、その魚から名前を思い出すのが本来の望ましい形ではないでしょうか?
"種の多様性"よりも"遺伝的多様性"を見ると自然観察は俄然面白くなる!
何やら「和名論」から「自然観察(フィッシュウォッチング)論」になってしまいましたが(笑)、ダイバーに限らず僕ら素人にとって「和名は何のためにあるのか?」という事を話題にする場合、これらは重要な事だと思います。
自然観察というと種の名前を覚える&知る("種の多様性"を見る)遊びだと思っている方が多いけど、僕は"遺伝的多様性"を見るのが楽しいし、そうあるべきものだと思っています。
つまり、ヒト(ホモサピエンス=人間)という"和名"はどうでもいいから、中村君とか山田君の名前と性格を覚える、見るのが自然観察だと考えています。
だから、フィッシュウォッチングをするのなら、和名はあえて覚える必要もない気がするのです。。。
そこで提案があります!
種名を覚えるよりも、その個体に自分で名前をつけるなどして、それを覚えてはどうでしょう?(笑)
ちょっと乱暴な言い方になり、語弊があるかもしれませんが、
「標準和名にあえて過度な期待や役割を与える必要はまったくなく、しっかりした手順さえ踏めば名前は何でも構わない。」
これが僕の結論です。
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今回で"シリーズ「和名考」"は終わります。
いかがでしたでしょうか?
標準和名について考える機会になったのなら嬉しく思います。
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