今回はねよし(富戸の波)さんのコメントになります。
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ねよし – 富戸の波 (2010/03/24)
長い話にお付き合い下さり有難うございます。
>> やっぱり、ムダに長くなってしまいました
いえ、非常に充実した内容で、参考になりました。こうなったら僕もトコトンお付き合い致します。しげる君の論旨に沿って、僕なりの考えを述べさせて頂きます。
>> 僕がこの和名を良いと感じるのは最後に「~ンボウ」と付くからだと
>> 思います
僕もそう思います。これを「その魚自身とはまったく関係のない言葉」とするならば、その通りですが、でも日本語の豊かさを表わした言葉だと思います。「甘えん坊」、「立ちん坊」など、「~ん坊」と続けるだけで何だか可愛さと共に少し寂寥感も感じてしまう良い接尾語です。
現実にはそんな物はないのですが、僕が望む「標準和名命名規則」は、優先順位から言うと、
1) 魚の外観、大きさ、生態、生息環境に基づいて命名する(実体と和名の
結び付きを強くして覚え易くすると言う機能的要請。名前を聞いたらその
魚を思い出せる様に)
2)日本語の豊かさを感じさせる名前とする (親しみ易さを目的に折角日本
語で名前を付けるのだから、その広い語彙や歴史を生かしたい、遊び
たいと言う文化的要請。が、結果としてそれが和名の覚えやすさに繋が
り、上の機能的要請も満たす事になる)
の2つです。ネジリンボウはこの2条件を見事に満たしています。
>> 人はなぜか必ず和名に引っ張られます
学名では一般の人々が全く関心を持てないので標準和名が提唱されているのでしょうから、「引っ張られる」と言うのはある意味では本懐と言えるとも思います。引っ張られない、つまり関心を持たれない和名では意味がありません。ただ、その内容が伴っていなければならないのは言うまでもありません。
>> 「(和名が)”アカ~”なのにナゼ赤くないの?」
>> 「(和名が)”タテジマ~”なのにナゼ縦縞じゃないの?」
この問題だけに限って言えば、そして、仮に僕がダイビングガイドだったならば、お客さんがこんな疑問を持って下されば、それこそ「待ってました」の美味しい展開です。
「黄色いのにどうして『アカヒメジ』なの?」
「横縞なのにどうして『タテジマキンチャクダイ』なの?」
と言う問題を出発点にして和名の定義の面白さ、魚の体色変化の不思議さなど様々な方向に話を広げる事が出来ます。僕は、それらの和名を付けて呉れた人に感謝しますね。
>> 体色や模様をそのまま和名に充てても、それはあくまでも現時点での
>> 話で、今後もっとその和名に適した魚が出てくる事も考えられます
これは仕方の無い事と腹を括るしかないと思います。ネジリンボウを例に取るならば、
「もしかしたら、昔の散髪屋さんのポールの様に、赤白青の三色で見事に
ねじれたハゼが将来現れるかも知れないから『ネジリンボウ』の命名は見送
ろう」
などと躊躇する必要は全くないと思います。見事にねじれたハゼがいつの日か本当に発見されたら、その時に当の記載者が頭をひねって命名すればよいのです。
>> その結果、その魚に「ニセタテジマ~」とか「ミナミタテジマ~」などという
>> 和名を充てる例が多くなっていきます
仰る意味はよく分かります。でも、これは「人名」や「地名」に基づく名前を付けたって事態は同じではないでしょうか。近い将来に、
「ニセヤクシマキツネウオ」
「ミナミヤクシマキツネウオ」
と言う名の魚が記載される可能性だって大いにあるでしょう。
>> ネジリンボウは”ヒレナシネジリンボウ”とでもして欲しいくらいです
これも上と同じ議論であり、仮に将来、「ヒレナガヤクシマキツネウオ」と言う魚が記載された時、
「ヒレナガヤクシマキツネウオはこれまでのヤクシマキツネウオより劣る種で
あるかの様に響くじゃないか」
「これまでのヤクシマキツネウオは『ヒレナシヤクシマキツネウオ』にして
くれ~」
と言う議論も出て来るでしょう。だから、これは「外観に基づいて命名するか」「地名・人名で命名するか」とは異なる問題なのです。
先の発言にも少し取り上げましたが、既に存在する種の語頭や語尾に新たな言葉を付け足して新たな和名とする命名に僕は個人的には反対です。それは、
「既に報告されている種に似ていると表わす事で繋がりを印象付ける」
と言う機能により、上の1) の要件(外観で命名)は満たしますが、余りに安易で2)の要件(豊かな日本語)は満たし得ないと考えるからです。それに徒に長い名前になって行くと言うのも気に入りません。ただ、これは直ぐに解決すべき大きな問題とは思わないので、将来何らかのルール作りが行われればなと願うくらいです。
>> 和名とはそういう種類のもの(和名がその魚のイメージを形成する)なので
繰り返しますが、その魚をイメージ出来る様に標準和名のシステムがあるのだと僕は考えるので、「魚」と「イメージ」を切り離すのであれば僕には標準和名は最早必要ありません。だから・・・
>> やっぱり無難なのは地名や人名なのかなぁ。。。
地名や人名由来の和名は1) の要件 2)の要件共に満たさないので僕は避けて欲しいと願っています。つまり、命名の背景を聴いたとしても、魚の実体(外観)と和名が結び付き辛く、その上何だか安易な命名に思えて面白くありません。よって、覚え難い和名になってしまうのです。
どなたも、ご自分のお子さんに名前を付ける時にはウンウンと唸りながらああでもない、こうでもないと考えを巡らすのだろうと思います。標準和名なんてさほど重要に感じていない学者さんも、そんな情熱の一部でもご自分の記載なさる生き物の命名に注いで欲しいと願うのです。なんなら、新種(新記載種)のお宮参りまでして欲しいくらいです。
おっと、僕もダラダラ長い文章になってしまいました。和名について議論する機会なんてあまりないので、この文章をまとめるだけでも考えを整理する良いきっかけになりました。どうも有難うございました。
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次回はこのねよし(富戸の波)さんのコメントに対する僕(HARAZAKI.NET)のコメントになります。
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